桜花賞

今さらだけど先に桜花賞の回顧から。


チューリップ賞でつけられた、ウオッカとダイワスカーレットのクビ差。あれを見て、「着差以上に力の開きがある」「どこまで行ってもあの差は詰まらない」と感じたファンは結構多かったはずだ。だが今になって思えば、このフレーズ自体がどこか使い古されすぎたようにも感じる。本番で同じコースをもう一度走った結果は逆の着順が待っていた。


過去の桜花賞でも、「トライアルで差された先行馬」が本番でよく粘って評価を覆すケースは毎年のようにある。近年ではデアリングハート、アズマサンダース、シーイズトウショウ、アローキャリーあたりがそう。少し前でもトゥザヴィクトリーやロンドンブリッジなんかがあてはまる。
競馬全体、特にクラシック、中でも桜花賞では、「華」が人気の要素になる。その意味で、トライアルで後ろから鮮やかに差された馬はどうしても評価を落としがち。逆に末脚を武器にしたハデな馬ほど人気を集めやすい。だが競馬において差し脚は常に水物で、トライアルで差せた相手をもう一度差せる保証なんてどこにもない。そこらへんが競馬の難しいところでもあるし、面白いところでもある。


「チューリップ賞をじっくり見ると、意外にウオッカは一杯の競馬をしていて、世間で言われているほど差があるとは思いませんでした」
松田国調教師のこの言葉は正しかった。もちろんウオッカが過剰人気だったとまでは言わないが、いつもこれくらい冷静な視点でレースが見れるようになりたいもんだ。